菜の花ロードを堪能したあとは、道の駅に隣接している大潟村干拓博物館を訪れました。
ここ、正直あまり期待していなかったのですが、近づいていくと想像以上に建物が大きいのです。
これは案外面白いかも……と胸を高鳴らせつつ、中に入ることに。
大潟村干拓博物館は、桜の季節は入館無料です。
この時期以外は入館料は大人は300円、小中高校生は100円です。
個人的には300円でも安いくらいの内容だと感じました。
入り口近くには大型ジオパークの展示があります。
ここでは太古の昔からの、大潟村のなりたちを知ることができます。
全体として地学の好きな方、理系の方向けの展示内容です。
八郎湖は長い年月をかけ、現在の姿になりました。
かつて海とつながっていた八郎潟は、2000年前の弥生時代にようやく湖になり、これが干拓が始まる前の1950年代まで続きます。
干拓がはじまって以降の歴史は常設展「潟の記憶」で知ることができます。
大潟村の歴史が、長い長いパネルに記されています。
これを読めば、大潟村の歴史が全部わかってしまいます。
こちらはどちらかといえば文系向けの展示ですが、個人的に印象に残っている年代は1980年代です。
菜の花ロードの終点にも日本海中部地震を解説する看板がありましたが、ここでもやはりこの大地震について触れられています。
子供のころの出来事だったので強く記憶に刻まれているのですが、大潟村もやはり大きな被害に遭っていたのです。
大潟村の長い歴史を追ううちに、自分自身の人生のイベントと重なる部分を見つけられるかもしれません。
干拓にかかわった偉人たちも紹介されています。
特に興味を惹かれたのは、オランダ人技師のピーター・フィリップス・ヤンセン。
国土の4分の一を干拓地が占めるオランダ出身のヤンセンは、大潟村干拓のアドバイザーとしてはまさにうってつけです。
個人的にこの博物館の目玉だと思っているのが、「入植者お茶の間劇場」。
これ、ちょっと懐かしすぎ。
写真が暗くてわかりにくいですが、初期の入植者の着ているものや食卓の様子、壁掛け時計など、あふれ出る昭和レトロ感がたまりません。
部屋の隅には森永のミルク缶まで置いてありました。
おにぎりと沢庵、焼き魚という純和風の食卓。
絨毯の上には煙草も見えますね。昭和はタバコを吸う大人が多数派だったことを思い出します。
この昭和の再限度の高さ、これだけでもこの博物館を見に来た甲斐がありました。
家庭だけでなく、農作業中の光景もしっかり展示されています。
小林旭の「燃える男の~赤いトラクター~」という歌声が聞こえてきそうですが、展示されているのは青いトラクターでした。
日本広しといえども、こんな立派なトラクターが展示されている博物館はここくらいではないでしょうか。
入植者たちの苦労が実り、収穫されたお米がこちらに展示されています。
おなじみササニシキからあきたこまち、ひとめぼれ、めんこななど、秋田のお米がここに勢ぞろい。
サキホコレはまだ新しいせいか、ここには展示されていません。
動物好きな方は、常設展「大地との共生」で大潟村の動物たちを見ることができます。
菜の花ロードではよくキジの鳴き声を聞きますが、姿はなかなか見えないので、ここでじっくりオスのキジを眺めることができます。
この写真には写ってませんが、ノスリというトビによく似た鳥も棲息しています。
ホンドタヌキやアナグマなど、大潟村にも様々な獣たちが住んでいます。
最近は大潟村にも熊が出たと報道されますが、ツキノワグマはここには展示されていません。
平地しかない大潟村にも、クマが住める場所があるのでしょうか。
大潟村応援大使・鈴木絢音さんのパネルもありました。
ここの右手奥からしばらく歩くと、道の駅おおがたの隣に出ます。